サルサ・ミュージック(salsa music)
音楽 曲 CD mp3ファイル

<サルサ・ミュージック(salsa music)とは>

●マンボの誕生

N.Y.には、第二次大戦後に、プエルトリコ始めカリブの島々から多くの移民が流入し、彼らはもちろんのこと、一般市民の中にもラテン音楽、特にダンス音楽としてラテンミュージックを愛好する人達が多く存在していました。 また、1959年1月のキューバ革命と、それによる61年1月のアメリカとキューバとの国交断絶以前には、「音楽大国・キューバ」から、多くのミュージッシャンがN.Y.を訪れ、ソンやソン・モントゥーノ等のヨーロッパとアフリカの音楽のミクスチャー(混血)ミュージックを演奏し、上記の移民や一般的な市民に人気を博していました。 61年にはキューバと米国の国交が断絶へと発展した。これにより、渡米できなくなったキューバの音楽家に代わって、NY在住のヒスパニック系(主にプエルト・リコ系)のミュージシャン達が、キューバ風のバンド編成で上述のキューバ音楽をベースに独自のサウンドを追求していく過程でサルサが生まれます。
1940年代頃から、ミュージシャン達は、新しい音を求めて、仕事後(アフターアワーズ)に集まってデスカルガ(ジャムセッション)を繰り返していたが、そんな中から「マンボ」も生まれた。モントゥーノの器楽の間奏部分を長くした形がベースになっていて、1944年に「マンボ」と言う曲を録音したアンセルモ・サカサス、フリオ・グティエレス、カチャオ、ペレス・プラード、アルセニオ・ロドリゲスらが関わったと言われている。
ペレス・プラード(1916〜89)は、49年にメキシコに渡り、現地のミュージシャンを起用して自己の楽団を編成、ビックバンドジャズのスタン・ケントン楽団のオーケストレーションを大胆に取り入れながら、「ケ・リコ・エル・マンボ」や「マンボNo5」等を録音、そのスピード感とダイナミズム溢れるが人々を魅了し、の世界的なマンボブームが起こった。
40年代末期に登場したペレス・プラードのマンボが、50年代に一世を風靡した頃、NYではマチートやティト・プエンテ、ティト・ロドリゲスらが率いる楽団が人気を競い(「マンボ戦争」)、マンボブームを盛り上げた、サルサを生み出す大切な下地になった。
59年の革命直後のキューバで生まれたパチャンガもNYに伝えられ、そのパチャンガを演奏すべくチャランガ編成の楽団が次々に編成された。中でも、チャーリー・パルミエリとジョニー・パチェコが59年に結成したドゥボネイや、レイ・バレットの楽団が有名で、彼らの活動が後にサルサを生む原動力となった。

●ブーガルー

1960年に入ると最初の数年間、NYのヒスパニックコミュニティでブーガルーが爆発的にヒットした。当時NYで演奏されていたキューバ系の音楽と、ダンサンブルなソウルやR&Bミックスから生まれ、若い世代を中心に爆発的な人気となった。ヒスパニック系のコミュニティ(バリオ)とアフリカン・アメリカン系のコミュニティ(ハーレム)が隣り合わせだったことを考えると、自然な流れだったと考えられる。

●デスカルガ

一方、60年代前半は、ディスカルガが盛んな時代でもあった。在NYのミュージシャン達は、ステージでの仕事が終わった後のアフターアワーズに、閉店後のクラブ等に集まって、自主的にジャム・セッションを繰り広げていたが、マンボやボサノヴァも、そんな中から生まれた。
60年代前半はそんなディスカルガが盛んな時代で、プエルトリコ人のチャーリー・パルミエリ(1927−88)やドミニカ人のジョニー・パチェーコ(1935ー)、チャーリーの実弟エディ・パルミエリらが中心となって、実験的なディスカルガが度々行われていた。
やがて、そのレコード化が企画され、チャーリーが中心となったアレグレ・オールスターズの「スタジオ・デスカルガ」を端緒に、いくつものディスカルガが録音された。ことに、ティコ・レコードが企画した66年5月23日のNYヴィレッジ・ゲイトでのディスカルガの盛り上がりは、サルサの興隆に弾みをつけた。

●ファニア・レコード

毎夜の様に開かれるディスカルガを通じて、新しいラテン音楽誕生の気運を悟ったジョニー・パチェーコは、弁護士のジェリー・マスッチと「ファニア・レコード」を64年に設立。当初は、ウィリー・コロン(1950ー)とエクトル・ラボー(1946−93)の「悪ガキコンビ」のヒット作で地盤を固め、ティコやアレグレレーベルをも傘下に収め、やがて生まれて来るサルサをリードするレーベルとなった。
ファニア・レコードやその系列の歌手や演奏家達を一堂に集めて繰り広げる顔見せ的興行ジャムセッション「ファニア・オールスターズ」が、1968年6月8日、NYのヴィレッジに当時あったクラブ「レッド・ガーター」で開催された。この第一回では、何かを模索するかの様で、未だディスカルガの雰囲気が濃かったが、この3年後、1971年8月26日に、やはりNYのロック系クラブ「チータ」で行われたライブ・パフォーマンスで、一気にサルサが花開いた。
このパフォーマンスの模様は、名盤「ライブ・アット・ザ・チーターVol.1&2」に収録されているが、観客と一体となって繰り広げられる熱い演唱が記録されている。既にディスカルガ色は薄れ、楽曲の多くは、ほぼ現在のサルサの様式で演奏された。このバックグラウンドとなった、NYのラテン・スラム街(バリオ)の情景とチータでのライブの模様を鮮やかに組み合わせたドキュメンタリー映画「アワ・ラテン・シング」も必見もの。
このファニア・オールスターズは、その後、カリブ諸島やベネズエラ等にもツアーを行い、サルサの素晴らしさをNYのヒスパニック圏外にも知らしめた功績は大きい。だが、73年8月24日にNYのヤンキースタジアムに4万人を集めて開催されたライブでは、観衆がフィールドになだれ込んでパニック状態になり、ライブが途中で中止となる事件が発生した。今、振り返れば、この時が、サルサのムーブメントの頂点で、以降、緩やかな下降線を描き始めたようにも見ることができる。
ファニア・オールスターズも、メンバーを入れ替えつつ現在も続いているが、そのピークは70年代だったという印象が強い。

●きら星のスター達

このようなサルサ誕生のムーブメントに合わせて、70年代はたくさんのスター達が登場した。グアラーチャの女王セリア・クルースは、74年にパチェーコとの共演盤「セリア&ジョニー」を発表、サルサの女王の座をも手中におさめた。その他、チェオ・フェリシアーノ、サントス・コローン、エクトル・ラボー、イスマエル・ミランダ、イスマエル・キンターナ、ピート・エル・コンデ・ロドリゲスらの男性歌手が人気を博した。演奏家では、ピアノのラリー・ハーロウ、ボビー・クルース(歌手)との名コンビで知られるピアノのリカルド・レイ、トロンボーンのバリー・ロジャース、パーカッションのモンゴ・サンタマリアなども人気を集めた。
プエルトリコ出身のトロンボーン奏者モン・リベーラ(ー1978)は、それまで脇役だったトロンボーンを前面に押し出すという画期的な編成を考え出し、それを受け継ぐ形で、エディ・パルミエリとバリー・ロジャースのトロンバンガサウンドは、ウィリー・コロンにも継承され、サルサの革新に寄与した。80年位代に入ると、キューバのロス・バン・バンにも受け継がれ、さらなる発展をおさめた。
「脱NYと広がるサルサ」 70年代前半にNYがサルサ人気で沸いた際の立役者のほとんどはプエルトリコ系のミュージシャンだったが、その発展とともに、NYやプエルトリコ系以外のミュージシャンの活躍も目立つようになって行った。ベネズエラ出身のオスカル・デ・レオーン(1943−)や、彼が初期に在籍したディメンション・ラティーナが大人気となり、コロンビアやパナマなどの中南米諸国やカリブの島々での人気が一気に高まった。日本やスペインなどにも飛び火した。このような動きの中から、パナマからはルベン・ブラデスが、コロンビアからはグルーポ・ニーチェのような優れたアーティストやグループが登場し、一国の枠を越えて、たくさんの国々で人気を集めた。
70年代後半の一時的な雪解け期には、NYとキューバの音楽家の交流が盛んになり、キューバ音楽もサルサの影響を大きく受けることになった。
70年代の終わり頃から、「サルサ・ロマンティカ」や「サルサ・エロティカ」(日本では一時「歌謡サルサ」とも)呼ばれるムーディーでメロディアスなサルサが主流となり、90年代も幅を利かせたが、画一的で高揚感やインパクトなどに欠け、焼き直し的な印象が否めなくなり、正直、70年代の頃の様な面白みに欠ける様になった。
90年代半ばになって、プエルトリコ出身のヒルベルト・サンタロサや、プエルトリコ系のマーク・アンソニー、インディアらが台頭して人気を集めているものの、やはり以前の様な輝きやパワー等が感じられないのが残念です。


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